牟田口廉也の評価はなぜ最悪なのか?インパール作戦と死後の真相

牟田口廉也の評価はなぜ最悪なのか?インパール作戦と死後の真相

牟田口廉也の評価はなぜ最悪なのか?インパール作戦と死後の真相についての真相を徹底解説します。

戦後、牟田口廉也は連合国軍により戦犯容疑(BC級)で逮捕され、シンガポールのチャンギ刑務所に収容されますが、インパール作戦そのものは「作戦指導の失敗」であり戦争犯罪には当たらないとされ、1948年に不起訴・釈放されました。その後は東京都調布市で余生を過ごしました。

彼が世間の顰蹙を決定的に買ったのは、晩年の執拗な自己弁護活動です。自宅に「インパール作戦に関する研究所」めいた看板を掲げ、メディアや軍関係者に対して「作戦失敗の責任は自分ではなく、命令を聞かなかった部下の師団長たち(特に佐藤幸徳)にある」「イギリス軍の元指揮官スリム将軍も私の作戦を高く評価していた」とする持論を喧伝し続けました。

1966年(昭和41年)8月2日、牟田口は気管支喘息と胆のう炎の合併症により、77歳でこの世を去りました(死因)。しかし、彼の執念は死後にも持ち越されます。自らの葬儀の席において、参列者に配られたのは会葬礼状だけではなく、自作の弁明パンフレット(「インパール作戦の真相」と題された手記の抜粋)でした。遺言として配らせたとされるこの文書には、最後まで作戦失敗の責任を他者に押し付ける文言が並んでおり、参列した旧軍関係者や遺族を激しく呆れさせたと伝えられています。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

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