智弁和歌山の応援を象徴するジョックロックですが、その誕生は1999年から2000年頃に遡ります。生みの親となったのは、当時同校の吹奏楽部顧問を務めていた吉本英治教諭(のちに教頭・副校長を歴任)です。
当時、智弁和歌山は甲子園の常連校へと成長していましたが、吹奏楽部の部員数は決して多くありませんでした。少人数の編成でもスタンド全体に強烈な音圧を響かせ、グラウンドの選手たちを鼓舞できるオリジナルのチャンステーマを求めていた吉本教諭が目をつけたのが、アメリカのスタジアムやスポーツイベントで使われていた電子音源でした。
原曲の元ネタとなったのは、アメリカの音楽プロデューサーであるスコット・シュリアー(Scott Schreer)氏らが手掛けた、スポーツコンピレーションアルバム『Jock Rock, Vol. 1』(1995年リリース)に収録されているダンス・スタジアムトラック、あるいは電子オルガンのプリセット音源として知られていたインストゥルメンタル楽曲です。シンセサイザー特有の尖ったビートと中毒性のあるリフに着目した吉本教諭は、これを吹奏楽用のブラススコアへと大胆にアレンジしました。
一般的な応援歌と異なり、ジョックロックには歌唱用の歌詞が存在しません。メガホンを叩くリズムと、トランペットやトロンボーンの鋭い連符、そして重低音のドラムだけで構成されるインストゥルメンタルだからこそ、言葉を超えた純粋な音の圧力となってグラウンドへ降り注ぎます。門外不出とされるその楽譜は、部員たちの手によって代々受け継がれ、甲子園の歴史を塗り替える強力な武器となっていきました。