仏教学において重要な論点となるのが、天台哲学の「理(り)の一念三千」と、日蓮仏法における「事(じ)の一念三千」の相違点だ。
「理」とは、理論や可能性の次元を意味する。心の中に3000の諸法が具わっているという真理をどれほど頭で理解し、座禅の中でイメージできたとしても、現実の苦難や社会の荒波に直面したときにその力を引き出せなければ意味をなさない。これが天台大師の教えが直面した実践上の壁であった。
これに対し「事」とは、具体的な事実や現実の振る舞いを意味する。日蓮大聖人は、我が身の現実に妙法という根源の法が具わっていると確信し、日々の生活の中で声に出し、行動に移すことこそが一念三千の具現化であると説いた。単なる観念論から、現実の人間変革・社会変革のエンジンへとパラダイムシフトを起こした点に、思想史上の大きな意義が存在する。