海坊主の記録は、江戸時代の随筆や奇談集に数多く見られます。寛文年間に記された『奇異雑談集』や、江戸中期の『譚海』などには、穏やかだった海面が突如として盛り上がり、漆黒の巨頭を現して船に襲いかかる怪異の様子が克明に記されています。浮世絵師・歌川国芳が描いた『東山桜荘子』に登場する海坊主の大胆な構図は、今も多くの人々に強烈な視覚的インパクトを与え続けています。
その出現パターンには地域ごとに興味深いバリエーションが存在します。三陸沖では「物言えば海坊主が出る」とされ、航海中に海坊主の名を口にすること自体がタブー視されていました。一方、瀬戸内海や九州沿岸では、波のない平穏な海に突如現れて船の舳先(へさき)に手をかけ、転覆を狙う怪異として恐れられました。
各地の漁師たちの間で共通しているのは、「夜間の航行中」「突如として現れる巨大な黒い影」「言葉を発して船乗りを試すような行動」という3つの特徴です。単なる自然の脅威にとどまらず、人知を超えた知性を持つ存在として畏怖されていた様子が窺えます。