セルンの心臓部とも呼べる装置が、地下およそ100メートルに敷設された大型ハドロン衝突型加速器LHC(Large Hadron Collider)です。周長約27キロメートル(山手線一周とほぼ同じ長さ)の超伝導磁石ループパイプを備えた、人類史上で最も巨大かつ精密な実験機械です。絶対零度に近いマイナス271.3度まで液体ヘリウムで冷却された真空のパイプ内で、陽子のビームを光速の99.9999991%まで加速し、特定の検出器内(ATLAS、CMSなど)で正面衝突させます。
この極限状態のエネルギー密度によって、宇宙誕生から「1兆分の1秒後」とされるビッグバン直後の超高温・超高圧状態を実験室内に擬似再現します。そこで生じた膨大な数の素粒子の崩壊カスケードを観測・記録する仕組みです。
2012年7月4日、世界中を駆け巡ったのが「ヒッグス粒子発見の経緯」をめぐる歴史的プレスリリースでした。半世紀前の1964年にピーター・ヒッグス博士らによって理論的に予言されながらも、実証されていなかった「物質に質量(重さ)を与える粒子」のシグナルが、約125 GeV(ギガ電子ボルト)のエネルギー領域でついに検出されたのです。
発表会場となった講堂の最前列で、老境に達したヒッグス博士が目頭を押さえながら「生きているうちにこの瞬間を見られるとは思わなかった」と声を詰まらせた映像は、近代科学史における最も感動的なシーンの一つとして語り継がれています。この世紀の大発見により、素粒子物理学の「標準模型(Standard Model)」が提示したすべての基本粒子が出揃い、翌2013年にはノーベル物理学賞が授与されました。