江戸時代の着物と身分の真実!贅沢禁止令が生んだ粋な裏事情

江戸時代の着物と身分の真実!贅沢禁止令が生んだ粋な裏事情

江戸時代の着物と身分の真実!贅沢禁止令が生んだ粋な裏事情の全体像を丁寧に掘り下げてご紹介します。

私たちが現在「着物」と呼んでいる衣服の基本形は、江戸時代に確立した「小袖(こそで)」に由来します。平安時代から室町時代にかけて、小袖は貴族の下着(肌着)に過ぎませんでした。しかし、動きやすさと合理性を求める武家社会の台頭に伴い、室町末期から安土桃山時代にかけて表着(おもてぎ)へと昇格します。そして江戸時代に入ると、身分を問わず男女すべての基本衣服として定着しました。

江戸前期から後期にかけて、女性の着こなしに最大の変化をもたらしたのが「帯の結び方の変遷」です。江戸初期の寛文年間頃までは、帯は現代のような幅広のものではなく、幅わずか6〜9センチ程度の細い紐状のものでした。結び位置も前や脇、後ろなど個人の自由であり、機能的な留め具に過ぎませんでした。

しかし、元禄期(1688〜1704年)以降、染色技術の発達や歌舞伎役者(上村吉弥の「吉弥結び」など)の影響を受け、帯そのものが装飾品へと進化を遂げます。帯幅は徐々に広がり、後期には現代とほぼ同じ約30センチ(約8寸)にまで大型化しました。

帯が幅広く、豪華になるにつれ、ある重大な物理的問題が発生します。「帯を前で結ぶと、家事や日常動作の邪魔になり、袖の動きが著しく制限される」という点です。その結果、日常の作業性を確保するため、帯の結び目は自然と背中側、すなわち「後ろ結び」へと移行していきました。

一方で、吉原の花魁や一部の既婚女性、あるいは公家の高貴な女性たちは、家事労働をする必要がない、あるいは「私は労働に従事しない特権階級・非日常の存在である」という身分標識として、あえて前結びを維持しました。帯の結び位置の変化は、単なる好みの問題ではなく、都市生活における生活様式の変化と労働環境のリアルを反映したものだったのです。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。