一審の東京地裁(1990年判決)、控訴審の東京高裁(1991年判決)において、裁判所は犯行の極めて残忍な手口と被害者の恐怖、遺族の処罰感情の峻烈さを認めつつも、主犯格の少年Aに対して死刑や無期懲役を選択しませんでした。不定期刑の上限である「懲役17年以上20年以下」が下された背景には、当時の法制度上の明確な制約が存在していました。
判決理由において裁判所は、「犯行当時17歳の少年であり、人格形成途上にあったこと」「親からの養育環境の瑕疵」「集団特有の心理的増幅」を情状酌量の要因として挙げました。また、検察側が殺意の立証を「未必の故意」として傷害致死罪に留めたことも、法的な量刑選択の幅を制限する決定打となりました。
この司法判断は遺族および世論の激しい反発を招き、後述する少年法改正の決定的な契機となりました。「未成年であることを理由に凶悪犯が守られる法体系は是正されるべきだ」という国民的合意形成は、本事件を境に不可逆なものとなっていきました。