音霊の歩みを語る上で避けて通れないのが、発祥の地である逗子海岸から由比ガ浜、三浦海岸へと拠点を移さざるを得なかった「会場移転の歴史」と、地域住民との間に生じた「騒音問題」の摩擦です。その原点は2005年、逗子育ちのボーカルユニット・キマグレンのISEKIとKUREIが「逗子の海に音楽の鳴る場所を作りたい」という情熱から立ち上げた手作りのライブハウスでした。
当初は小さな海の家からスタートした音霊でしたが、キマグレンが2008年にリリースしたシングル『LIFE』の特大ヒットと共にイベントの知名度も爆発的に上昇。キャパシティ約1,000人規模の仮設ライブハウスへとスケールアップし、メジャーアーティストが連日登場するプレミアム空間へと変貌していきました。しかし、その急速な商業的成功は、静かな保養地であった逗子の生活環境と鋭く対立することになります。
当時、現場周辺で問題視された主な摩擦要因は以下の通りです。
- 重低音による住環境への影響:仮設の木造小屋構造であったため完全な防音壁を設置できず、ドラムやベースの重低音が数キロ先の住宅街や海岸沿いのマンションまで日常的に響き渡ったこと。
- 海水浴場全体の治安・風紀の急変:音霊の人気拡大に伴い、周辺の海の家もクラブ化・巨大スピーカーによる大音響営業へ追従。飲酒トラブルやゴミの散乱、泥酔者の徘徊が急増したこと。
- 地域住民とのコミュニティ分断:長年静穏な海辺を愛してきた高齢者層を中心とする地元住民と、夏場だけ押し寄せる若者や観光客・興行主との間で生活実感の乖離が決定的になったこと。
事態を重く見た逗子市議会および地元自治会は、2013年に「逗子市安全で快適な逗子海水浴場の確保に関する条例」を可決。海の家における音楽放送の原則禁止やアルコール持ち出しの厳罰化、露出度の高い入れ墨の規制などが盛り込まれ、全国で最も厳しい海水浴場規制が敷かれました。この結果、音霊は愛着の深かった発祥の地・逗子海岸からの撤退を余儀なくされたのです。
その後、2014年から2016年までは鎌倉市の由比ガ浜海岸へ、2017年からは三浦市の三浦海岸へと拠点を移転。三浦海岸時代には防音設備を大幅に強化し、京急電鉄とのタイアップ企画を進めるなど地域との共生を模索し続けましたが、会場規模の変更や移転コストの重荷が最後まで運営の足元に影を落とし続けました。