二人の関係性を語る上で外せないのが、常軌を逸したトレーニングと肉体への執着だ。冨永愛が魅せるしなやかで力強いプロポーションは、日々の過酷な鍛錬と徹底した自己管理の賜物である。そして長渕剛もまた、アスリートさながらのトレーニングで鍛え上げた肉体をステージで曝け出し、己の生き様を音に乗せてきた。
肉体は嘘をつかない。それは言葉以上に雄弁な自己主張である。肉体を追い込むプロセスの中で培われた鋭い感性と精神的な強靭さ。両者は互いの姿の中に、己と同じ「孤独な表現者の覚悟」を見出しているのかもしれない。楽な道を選ばず、常に自らに厳しい負荷をかけ続ける姿勢こそが、彼らを結びつける強烈な磁石となっている。