チベットスナギツネの生活史を語る上で欠かせないのが、草原の主たる住人である「クチグロナキウサギ(Black-lipped pika)」との関係性です。中国青海省やチベット自治区の調査データによると、チベットスナギツネの胃内容物のうち、実に85%〜95%がナキウサギで占められています。
ナキウサギは地下に迷路のような複雑な巣穴を掘って暮らす警戒心の塊です。身を隠す岩陰すら少ない高原で、チベットスナギツネは地面に腹をぴったりと密着させ、あの細い目で微かな動きを察知すると、時速40kmを超える猛ダッシュで巣穴の出口を急襲します。派手な跳躍(バウンディング)を見せるアカギツネと異なり、風の抵抗を受けないよう極めて地を這うような低空ハンティングを行うのが特徴です。
さらに生態学者が注目するのが、チベットヒグマとの奇妙な共存・便乗関係です。巨大なヒグマがナキウサギの巣穴を力任せに掘り返している際、チベットスナギツネは少し離れた安全圏に陣取り、例の「虚無の目」でじっと作業を見守ります。ヒグマに驚いて別の出口から慌てて飛び出してきたナキウサギを、横から電光石火のスピードでかっさらうのです。ヒグマにとっては鬱陶しい泥棒ですが、広大なステップで獲物を捕らえるエネルギーコストを極限まで下げる賢明な戦略と言えます。
また、鳴き声についても非常に興味深い特徴があります。犬のように「ワン」と吠えるのではなく、警戒時には「クワッ」「ギャッ」という乾いた短い叫び声を響かせます。求愛期以外はエネルギーを無駄に消費しないため、日常的に声を出すことは極めて稀です。過酷な高山帯では「無駄に吠えない、無駄に動かない、無駄に表情を変えない」ことこそが、命を維持するための鉄則なのです。
野生下の平均寿命はおよそ8年〜10年。生息地における天敵としては、上空を旋回するイヌワシや、雪原の支配者ユキヒョウ、そして近年急速に個体数を増やしている野犬(チベタン・マスティフなどの放し飼い犬)が挙げられ、常に周囲への警戒を怠らない孤独なプレデターでもあります。