「キャラバンサライ(Caravanserai)」の語源は、古典ペルシア語の「kārvān(隊商・旅人集団)」と「sarāy(宮殿・館・宿)」が結合した複合語です。トルコ語圏では「ハーン(Han)」、アラビア語圏では「ファンドゥク(Funduq)」とも呼ばれ、広大な乾燥地帯を行き交う交易者たちにとって命綱となる施設でした。
その歴史的背景を遡ると、アケメネス朝ペルシアの「王の道」に整備された駅伝制に端を発し、セルジューク朝やサファヴィー朝、オスマン帝国の時代に最盛期を迎えました。過酷な砂漠や山岳地帯が広がるシルクロードにおいて、隊商が1日に移動できる距離はおよそ20km〜30km(ラクダの歩行速度で約6〜8時間)。国家権力はこの移動限界ごとに計算し尽くされた間隔でオアシス都市や幹線道路沿いに宿駅を連続配置し、大動脈としての交易ルートを維持したのです。
当時の君主(スルタン)や有力貴族たちは、宗教的寄進制度(ワクフ)を活用してこれらの宿駅を建設しました。特筆すべきは、「最初の3日間は宿泊料や基本的な食事が無料」で提供される施設が多かった点です。これは単なる慈善事業ではなく、商人の往来を活性化させて都市に富を呼び込み、関税収入を最大化するための極めて高度な経済政策でした。