では、歴史的にトルコの首都はいつ変わったのでしょうか。時計の針を第一次世界大戦の終結期、1910年代後半から1920年代初頭へと巻き戻す必要があります。
かつて地中海から中東、東欧に君臨したオスマン帝国の首都は、ボスポラス海峡を抱く麗しの都コンスタンティノープル(現イスタンブール)でした。しかし、第一次世界大戦で敗戦国となった帝国は、イギリス、フランス、ギリシャなどの連合国軍によって分割占領の危機に瀕します。旧首都イスタンブールは連合軍の軍艦が停泊し、スルタン(皇帝)の政府は敵国の監視下に置かれ、事実上の無力化に追い込まれました。
この国家存亡の危機に立ち上がったのが、後にトルコ共和国の初代大統領となり「建国の父」と仰がれるケマル・アタテュルクです。彼は占領軍の手が届く海岸沿いの旧都を捨て、アナトリア半島の中央部に位置する内陸の寒村アンカラに革命の拠点を築きました。
アタテュルクは、自らの演説記録や後世に残された公式手記『ヌトゥク(Nutuk)』において、当時の決断の緊迫感を克明に語っています。敵の艦砲射撃にさらされるイスタンブールにとどまることは、国家主権の放棄と同義でした。1920年にアンカラでトルコ大国民議会を開設した彼は、独立戦争を指揮して祖国の解放を勝ち取ります。そして共和国宣言を行う直前の1923年10月13日、アンカラを正式な新首都として制定しました。アンカラ遷都の歴史は、単なる拠点の移動ではなく、帝政への決別と近代民主国家への脱皮を告げる血塗られた独立闘争の帰結だったのです。