行政や学術の場において、なぜトルコがこれほどまでに中東として扱われるのでしょうか。トルコが中東に含まれる理由は、かつて中東全域から北アフリカ、東欧までを支配したオスマン帝国(1299〜1922年)の宗主国であったという歴史的背景にあります。国民の約98%以上がイスラム教徒(大半がスンニ派)であり、生活様式や食文化、家族観の根底には中東的な価値観が色濃く息づいています。
しかし、第一次世界大戦後にオスマン帝国が崩壊すると、建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクは徹底的な西欧化を断行しました。憲法からイスラム教を国教とする条文を削除し、文字をアラビア文字からアルファベット(ラテン文字)へと変更。法体系もスイスやドイツの近代法を導入し、「ヨーロッパ近代国家」への仲間入りを国家目標に据えたのです。
この近代化の延長線上にあったのが、半世紀以上にわたる欧州統合への挑戦でした。トルコEU加盟交渉の経緯は、希望と失望の連続です。
- 1987年:EEC(欧州経済共同体)へ正式に加盟申請を行う。
- 1999年:EU首脳会議で正式な加盟候補国として承認。
- 2005年:正式な加盟交渉がスタートし、国内の法制度改革が進む。
- 2010年代以降:キプロス問題を巡る対立、人権状況や司法の独立性を巡るEU側の懸念、さらには「人口大国かつイスラム圏のトルコが入ればEUのパワーバランスが崩れる」という独仏を中心とした警戒感から交渉は事実上凍結。
長年の門前払いに対し、トルコ国内では「欧州はキリスト教クラブであり、我々を対等な仲間として受け入れる気はない」という強い幻滅が広がりました。この交渉の停滞が、トルコを再び東方や独自路線へと向かわせる引き金となったのです。