山本文緒という書き手が読者の心を捉えて離さない最大の理由は、「生活者としての生々しい痛み」から決して視線を逸らさなかった点にあります。1962年に神奈川県横浜市で生まれ、神奈川大学経済学部を卒業した彼女は、すぐに専業作家としての順風満帆な道を歩んだわけではありませんでした。一般企業でのOL勤務を経験し、理不尽な人間関係や日常の閉塞感を骨の髄まで味わったことが、のちの小説作法の強固な礎となります。
1987年に少女小説レーベルである集英社コバルト文庫でデビューしたのち、1990年代初頭から一般文芸へと進出。当時の日本文学界では、女性の生き方をスタイリッシュに描くトレンディな作風や、観念的・実験的な純文学が主流を占めていました。その中にあって山本文緒が切り拓いたのは、「一見すると普通に見える女性が、心の奥底で飼いならしている狂気や倦怠感」を容赦なく描くリアリズムでした。
1999年に『恋愛中毒』で第20回吉川英治文学新人賞を受賞し、翌2001年には『プラナリア』で第124回直木賞を受賞。一躍トップ作家の仲間入りを果たします。しかし、賞賛の嵐と過密スケジュールは彼女の精神を激しく摩耗させました。直木賞受賞の直後、重度のうつ病を発症。筆を執ることすらままならない過酷な闘病生活へ突入し、約5年以上にわたる本格的な執筆休止を余儀なくされたのです。
栄光の絶頂から突如として訪れた挫折。自著や手記で語られた「文章が読めなくなり、自分が作家であったことすら恐ろしくなった」という生の告白は、同じように現代のプレッシャーに押しつぶされそうな人々の深い共感を呼びました。その後、再婚を機に長野県軽井沢町へ生活拠点を移し、穏やかな日常の中で少しずつ表現を取り戻していった経歴そのものが、彼女の紡ぐ言葉に「机上の空論ではない圧倒的な重み」を与えています。