映画のクライマックスである玉川上水の心中シーンを巡っては、史実との差異やネット上で囁かれる様々な噂が存在します。歴史的事実と照らし合わせながら、その真相を検証します。
1948年6月13日深夜、雨の降りしきるなか太宰治と山崎富栄は玉川上水へ身を投げました。遺体が発見されたのは6日後の6月19日、奇しくも太宰の39歳の誕生日であり、のちに「桜桃忌」と呼ばれる日です。
長年、ネット上や一部の俗説では「太宰は死ぬ気がなく、富栄に無理やり引きずり込まれた(無理心中説・狂言心中説)」という言説が流布されてきました。しかし、残された太宰の遺書や富栄の日記を綿密に精査した近代文学研究においては、太宰自身の死への意志も極めて強固であったことが裏付けられています。
映画において蜷川実花監督は、富栄の執念を強調しつつも、太宰が作家として限界を迎え、富栄という「死の装置」を自ら受け入れていく共犯関係として心中を描写しました。この演出こそが、単純な被害者・加害者の構図を超えた人間ドラマの深みを生み出しています。