禅寺の山門を越え、日本の美意識の根幹へとこの言葉を定着させたのが茶の湯の文化です。茶席の床の間に飾られる掛け軸(一行書)の中で、最も頻繁に選ばれる墨跡のひとつが「日日是好日」です。
茶道において、亭主(もてなす側)と客(招かれた側)が出会う茶室は、俗世の利害や身分から隔絶された一期一会の聖域です。快晴の日もあれば、激しい風雨に見舞われる日もあります。しかし、どんな天候であっても「今日この場に集えた奇跡」に勝るものはありません。茶室に掛けられた「日日是好日」の軸は、集うすべての人々に対して「いま目の前にある一杯の茶、水の沸く音、季節の花に全神経を集中させなさい」と無言で語りかけます。
この精神を現代に鮮やかに甦らせたのが、エッセイスト・森下典子氏による自伝的著書『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―』であり、2018年に公開された同名の実写映画でした。大森立嗣監督がメガホンを取り、主人公の典子役を黒木華氏、親友役を多部未華子氏、そして二十余年にわたり厳しくも温かく茶の道を指南する武田先生役を故・樹木希林氏が演じました。
特に武田先生を演じた樹木希林氏の佇まいは、言葉を超えた説得力に満ちていました。映画関係者や公開当時の特番インタビュー、追悼手記で語られたエピソードによれば、希林氏はすでに全身にがんを患いながらも、指先の微細な所作ひとつにまで茶道の精神を宿らせて撮影に臨んでいました。劇中で武田先生が淡々と語る「世の中にはね、『すぐわかること』と、『すぐにはわからないこと』の二種類があるのよ」という台詞は、多くの観客の涙を誘いました。
雨の日には雨の音をただ聴き、冬の寒さには身を縮めながらその冷たさを感じ切る。劇中で主人公が人生の挫折や身内の死を経験しながら、やがて床の間の「日日是好日」の掛け軸の前に座り、心からその意味を悟るシーンは、観る者に「生きることの全肯定」とは何かを静かに問いかけています。