机上の理論値と、実際のM&Aディールにおける最終譲渡価格との間には、常に緊張感のあるギャップが生じます。大手M&A仲介会社や投資銀行の現場データが示す通り、算定書に記載されたバリュエーションは、あくまで「交渉の土台」に過ぎません。
買い手企業にとっての価値は、対象企業の単体価値(スタンドアローン価値)にとどまりません。買収後に自社の販売網を使って売上を伸ばせるか、重複拠点の統廃合で販管費を削れるかといった「シナジー効果」を織り込み、単体評価額に20%〜30%程度のコントロール・プレミアムを上乗せして提示するのが一般的です。
一方、売り手側の創業オーナーは、自社が長年培ってきたブランド価値や将来の構想を過大評価しがちです。ある独立系プライベートエクイティ(PE)ファンドのディールマネージャーは、交渉の舞台裏をこう明かしています。
「オーナー経営者の希望価格は、往々にして過去最高益を基準にした高値に設定されています。しかし我々が着目するのは、経営者個人の人脈や属人性に依存しない『再現性のある収益基盤』です。退職引当金の不足や未払い残業代といった簿外債務が財務DD(デューデリジェンス)で浮上すれば、企業価値評価から容赦なく数千万円単位でディスカウントを要求することになります」
M&Aにおける企業価値算定とは、単なる計算作業ではなく、将来のリスクをどちらが負担するかを巡る緻密な力比べの結晶なのです。