大内さんは直ちに東大病院の集中治療室(ICU)へ転院し、前川和彦教授を中心とする全国規模の医療チームが結成されました。失われた造血機能を補うため、実妹からの造血幹細胞移植という日本初の試みが行われ、一時は生着が確認されるなどの希望も見られました。
しかし、染色体破壊の真の恐怖は皮膚や粘膜など、細胞の新陳代謝が速い組織から容赦なく現れ始めました。
被曝から数週間が経過すると、古くなった皮膚が垢となって剥がれ落ちた後、新しい皮膚が一切再生されなくなりました。体表全体が熱傷のようにただれ、体液と血液が絶え間なく滲み出します。さらに腸粘膜が完全に剥落したことで激しい下痢と出血が続き、1日に何リットルもの輸血と水分補給が必要となる壮絶な状態へと陥っていきました。
同じく現場で約6〜10シーベルトを被曝した同僚の篠原理人さんも、皮膚や多臓器の不全と闘いながら皮膚移植などの治療を受けましたが、事故から211日後の2000年4月に多臓器不全のため亡くなっています。