蟻鱒鳶ルが歩んできた道のりの中で、最大のヤマ場となったのが周辺一帯の「三田三・四丁目地区市街地再開発事業」に伴う解体危機の経緯です。巨大な資本と行政が主導する大規模再開発の敷地計画において、当初この私設建築は「立ち退き・解体」の対象として組み込まれていました。
一般的な立ち退き交渉であれば、多額の補償金と引き換えに建物はあえなく取り壊されるのが常です。しかし岡氏は、自らの手で10年以上かけて命を吹き込んできた建造物を手放すことを拒否しました。建築関係者、文化人、地元住民らが巻き起こした保存運動と、岡氏の誠実な対話によって、再開発組合側も次第にその文化的価値を無視できなくなっていきます。
導き出された奇跡の解決策が、「建物を壊さず、そのまま敷地内で移動させる曳家(ひきいえ)」でした。再開発エリアの区画道路計画と折り合いをつけるため、約10メートル水平移動させて新しい基礎の上に載せるという、民間建築では極めて異例の合意が成立したのです。これが蟻鱒鳶ルにおける再開発の真相であり、巨大資本に対して個人の表現が対等に渡り合った歴史的瞬間でした。