大田実という指揮官の名が今なお日本国民の記憶に深く刻まれている最大の理由は、自決の1週間前である1945年6月6日夜、海軍次官宛てに発信された極めて異例の訣別電報にあります。
軍の最高幹部が本土の大本営へ送る最後の電文といえば、戦果の報告や天皇への謝罪、あるいは本土決戦への激励が定例でした。しかし、大田司令官が打電した長文の電報は、それらとは全く異質なものでした。物資も弾薬も尽きたなかで、日本軍のために過酷な労役に従事し、看護に身を捧げ、家財を焼き尽くされながらも不平一つ言わずに戦い続けた沖縄県民の犠牲と奮闘を、克明に書き連ねたものだったのです。
電文の結びは、歴史に残る次の痛烈な一節で締めくくられています。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
自らの死を目前にした極限状態において、軍の面子ではなく、巻き込まれた無辜の住民たちの真摯な献身を後世の日本政府と国民に訴え、特別な配慮を懇請したこの電報は、戦史における奇跡的な人間性の記録として読み継がれています。この言葉の重みを現場で噛みしめることこそが、旧海軍司令部壕を訪れる意義に他なりません。