鏡を見つめた際に生じる恐怖体験には、心理学的な要因に加えて生理学的な視覚現象も深く関わっています。その代表が「トロクスラー効果(Troxler's fading)」です。
人間はある1点をじっと見つめ続けると、周辺視野にある動かない情報に対して網膜の受容体が順応し、脳が「変化のない不要な情報」と判断して視界から消去・フェードアウトさせてしまう性質を持っています。
イタリアのウルビーノ大学で行われた心理学者ジョヴァンニ・カプリウト(Giovanni Caputo)による実験では、薄暗い部屋で鏡の中の自分の顔を10分間見つめさせたところ、被験者の約66%が自分の顔の巨大な歪みを体験し、約48%が怪物や異形の存在に見えたと報告しています。脳が消えた部分の視覚情報を補完しようと勝手に記憶や恐怖のイメージを投影してしまうためです。
「鏡の中の自分が別の顔になって笑った」「自分ではない誰かがそこにいた」といった体験談は、霊的な怪奇現象ではなく、トロクスラー効果と脳の過剰な情報補正が生み出した純粋な脳内イリュージョン(錯覚)によって説明されます。