検索エンジンの入力候補やSNSのコミュニティで頻出するのが、「不動明王は背中に彫ってはいけない」「彫ると祟られる」という言説です。実際の取材において、老舗の彫師や仏教関係者にこの疑問をぶつけると、一様に「神仏の祟りといったオカルト的な呪いではない」という回答が返ってきます。では、なぜ不動明王の刺青を入れてはいけない理由がこれほど真摯に語り継がれてきたのでしょうか。そこには、身体変容に伴う心理的・社会的な重圧に対する先人たちの合理的な警告が存在します。
最大の要因は、「仏格の重さ」に対する覚悟の不均衡です。不動明王は数ある仏尊の中でも極めて格式が高く、精神的な清浄さと克己心を要求する象徴です。古くから職人や火消し、己の命を賭して生きる人々が「身代わり守護」「不退転」を誓って彫ってきた歴史があります。これをファッション感覚や刹那的な見栄で彫った場合、彫られた本人の日常行動と背中の荘厳な仏画との間に深刻な認知的不協和が生じます。取材に応じたある彫師は、「己の生き方に芯がない者がこの図像を背負うと、図柄の迫力に精神が呑まれ、息苦しさを感じるようになる」と証言しています。
また、不動明王の刺青にまつわる祟りの噂の真相を追跡すると、大半が「筋彫り(輪郭線)のまま放置したことによる挫折感」に行き着きます。不動明王の構図は極めて緻密であり、背中一面を仕上げるには凄絶な痛みと多額の金銭、そして長期にわたる通院のような忍耐が求められます。途中で痛みに耐えかねたり資金が尽きたりして未完成のまま放置すると、鏡を見るたびに「己の弱さや挫折」を突きつけられることになります。この自己嫌悪や生活の乱れから生じた不運を、かつての人々が「仏の怒り」や「祟り」として解釈したというのが、心理学的・社会学的に見た実態です。