映画やドラマを見ていると、スパイが発覚した瞬間に手錠をかけ、華々しく逮捕するシーンを想像しがちです。しかし、日本のスパイ摘発の真相は、はるかに地道で息の詰まる法制上の制約と戦っています。
根本的な問題として、日本には欧米諸国のような「外国のために国家機密を探知・収集したこと自体を重罪とする包括的なスパイ防止法」が存在しません。特定秘密保護法や自衛隊法、国家公務員法による罰則はあるものの、民間企業の先端半導体技術やバイオテクノロジー、大学の研究室から流出するノウハウを外国人が盗み取った場合、スパイ行為そのもので直接処罰することは困難です。
そのため、外事警察のスパイ防止法と防諜活動における実務は、「外為法(外国為替及び外国貿易法)違反」や「出入国管理法違反」、「偽造有印私文書行使」、あるいは「不正競争防止法違反」といった法令違反を丹念に積み上げ、外堀を埋めて追い詰める手法が主流となっています。過去に摘発されたロシア通商代表部員や中国系研究者による技術持ち出し事件でも、最終的な容疑名目案は「身分偽装」や「不正輸出未遂」でした。
そして、外事警察の業務の核心にあるのが「作業(サギョウ)」と呼ばれるヒューミント(HUMINT:人的情報収集)活動です。元捜査員の残した回顧録や特番インタビューでも明かされている通り、彼らの最大の武器は盗聴器ではなく「人間関係の構築」です。
工作活動に関与していそうな外国人や、その周辺にいる日本人(学者、技術者、貿易商など)をリストアップし、数カ月から数年をかけて行動確認(尾行・張り込み)を継続。対象者が抱える家庭の不和、金銭の悩み、職場での孤立といった「心の隙間」を見抜き、偶然を装って接触します。徐々に信頼関係を醸成し、最終的には警察に情報を提供する「協力者(エス=スパイ・協力員)」へと仕立て上げていくのです。そこには、相手のパーソナリティを深く見極め、依存と信頼の心理的境界線を巧みに操る高度な心理戦が存在します。