物語の背景をさらに深掘りする上で避けて通れないのが、作家・野坂昭如が執筆した直木賞受賞作である原作小説『火垂るの墓』と、高畑勲監督による劇場アニメ版との決定的な相違点です。
原作小説における清太の造形は、アニメ版よりもはるかに生々しく、利己的な一面を持っています。野坂昭如自身が戦時中に疎開先(西宮の親戚宅)で妹を養い、福井で餓死させてしまった実体験をベースにした「モデルの実在人物に対する贖罪」として執筆された手記的性格の極めて強い文学作品です。
野坂は生前の自著や回想録(『アドリブ自叙伝』等)において、次のような痛切な告白を残しています。
「自分は妹に優しく分け与えるどころか、泣き叫ぶ妹の口を塞ぎ、配給の乾パンや大豆を自分の腹に詰め込んでいた。飢えは人間から一切の道徳を奪い去る。小説の清太は、自分がそうありたかったという美化された虚像であり、妹に対する永遠の懺悔である」
また、実在した西宮の親戚のおばさんについても、野坂は後年「あのおばさんにはおばさんの生活があり、戦時中に他人の子どもを二人も抱え込むことがどれほど過酷であったか、大人になって初めて理解できた」と述懐しています。
一方、高畑勲監督はアニメ映画化にあたり、清太を「反戦のシンボル」ではなく「社会との煩わしい人間関係を拒絶し、二人だけの閉じた純粋な世界へ逃げ込んだ現代の若者の原型」として描いたと当時のインタビューで明確に語っています。つまり、西宮のおばさんは「冷酷な悪人」として描かれたのではなく、「清太が拒絶した、煩わしくも生きるために必要な共同体の現実」そのものとして配置されていたのです。