Q1:実朝の首は最終的にどこへ行ったのですか?
A1:公式記録である『吾妻鏡』では、公暁が持ち去った後に行方不明になったとされています。しかし神奈川県秦野市には、三浦氏の家臣であった波多野忠綱が首を持ち帰り埋葬したとされる「実朝御首塚」が残り、現在も供養が行われています。
Q2:北条義時は本当に暗殺を事前に知っていたのですか?
A2:近年の歴史研究では、事前に知っていた可能性は極めて低いと考えられています。『吾妻鏡』の「体調不良で太刀持ちを代わった」という記述は北条氏を神仏が守ったとする後世の潤色と見られており、実朝を失うことは北条政権にとっても重大な危機を招くため、暗殺を黙認する合理的理由がありません。
Q3:暗殺によって源氏の直系将軍が途絶えた後、鎌倉幕府はどうなったのですか?
A3:幕府は摂関家から幼い藤原頼経を迎え「摂家将軍」として擁立しました。実権は執権の北条氏と尼将軍の北条政子が完全に掌握し、1221年の承久の乱で後鳥羽上皇率いる朝廷軍に勝利したことで、北条氏による武家政権の優位が確立しました。