昭和40年代、日本は高度経済成長の只中にあった。そのエネルギーを象徴するかのように巻き起こったボウリングブームは、老若男女を問わず社会全体を巻き込む一大カルチャーとなった。その中心にいたのが、日本初の女子プロボウラーたちである。
テレビ局各社はこぞって中継番組を編成し、ゴールデンタイムにプロボウリングの試合が高視聴率を記録する異常事態が日常化した。スポ根ドラマ『美しきチャレンジャー』が制作されるなど、メディアは彼女たちを競って取り上げた。だが須田自身は、そうした過熱する商業主義に媚びることなく、ただひたすらにレーンと対話し、ストライクの精度を磨き上げる求道者であり続けた。