日本美術史において、小野小町と並んで九相図の代表的なモデルとして知られるのが「壇林皇后(だんりんこうごう/橘嘉智子)」です。嵯峨天皇の皇后であり、深い仏教信仰を持っていた彼女の九相図と、小野小町の九相図には、成立の背景と人々の受け止め方に決定的な違いが存在します。
壇林皇后の九相図は、皇后自らが臨終に際して遺言したという高潔な伝承に基づいています。 「我が身が亡くなった後は、決して墓に葬ってはならない。遺体を道端に打ち捨て、野犬に食わせ、肉が腐り骨となる様を民衆に見せよ。それによって人々に世の無常を悟らせ、菩提心を起こさせる縁とせよ」 ――自らの肉体を究極の布施(自己犠牲の教義伝達)として捧げたという「聖者・菩薩の行い」として語られるのが壇林皇后の九相図です。そこには宗教的な崇高美が伴っています。
これに対し、小野小町九相図には「悲哀」と「因果応報の戒め」という世俗的なドラマが濃密に影を落としています。深草少将の百夜通い伝説に見られるような「男たちを惑わし、無慈悲に拒絶した高慢な美女」という中世の小町像が下敷きにあり、絶頂期の誇り高さがやがて過酷な老いと孤愁の死へと転落していく様が強調されます。観る者は、崇高な教理としてではなく、自らの身につまされる人間的な宿業としてこの絵画を受け止めてきたのです。