宇都宮・競輪場通りはなぜ人を惹きつける?名店と渋滞の真相に迫る

宇都宮・競輪場通りはなぜ人を惹きつける?名店と渋滞の真相に迫る

宇都宮・競輪場通りはなぜ人を惹きつける?名店と渋滞の真相に迫るについての真相を徹底解説します。

競輪場通りという名称を耳にした来訪者が真っ先に抱く疑問が、「通り沿いをいくら走っても競輪場らしき施設が見当たらない」という点です。事実、宇都宮競輪場(500mバンクを擁する通称・雷神バンク)が位置しているのは、通り南側にそびえる八幡山公園の緑豊かな丘陵地の一角であり、通りに面してバンクが存在するわけではありません。

宇都宮市都市計画部や郷土資料の記録を紐解くと、この名称の起源は昭和中期の都市基盤整備に遡ります。戦後復興期から高度経済成長期にかけ、八幡山北側の丘陵地帯を切り開いて戸祭地区と元今泉地区を結ぶ東西連絡道路が計画されました。その際、宇都宮駅方面や北部環状ルートから競輪場への主要連絡路として位置づけられたことから、市民の間で自然発生的に「競輪場通り」の愛称が定着し、のちに正式な通称道路名として認定された経緯があります。

長らく農地や雑木林が混在する郊外の連絡路に過ぎなかったこの通りが、劇的な転換点を迎えたのは1994年(平成6年)のことでした。中心市街地の中心部(馬場通り)にあった老舗百貨店「福田屋百貨店」が、郊外型モータリゼーションの到来を先取りし、競輪場通り沿いの広大な敷地へ本店機能を移転(現:FKD宇都宮店)。この移転は当時の地方都市商業における先進事例として全国的にも注目を集めました。大容量駐車場を備えた百貨店の進出を契機に、銀行支店、カーディーラー、外食チェーン、医療モールが雪崩を打つように進出し、現在に至る強固な商業集積が完成したのです。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。