ネット上で長年囁かれてきた「ヒカキンは学生時代、スキージャンプのトップ選手だった」という噂は、誇張抜きの紛れもない事実です。新潟県立新井高等学校のスキー部は、全国大会やインターハイで幾度も上位入賞者を輩出してきた全国屈指のウインタースポーツ名門校として知られています。
地元・妙高高原町(現・妙高市)の恵まれた雪山環境で育ったヒカキンは、小学3年生の冬からスキージャンプを始めました。中学時代には全国大会で8位入賞を果たすなど、将来を嘱望される選手の一人でした。より競技に打ち込む環境を求め、名門スキー部を擁する新井高校へ進学。高校3年間にわたり、過酷なスキージャンプ漬けの日々を送っています。
当時の様子について、ヒカキンは自著『僕の仕事は YouTube』や過去のドキュメンタリー番組において次のように述懐しています。
「ジャンプ台のスタート地点に立つと、足がすくむような恐怖がある。けれど、風を読み、一度飛び出したら後戻りはできない。あの恐怖に打ち勝って空中に飛び出す感覚が、自分の度胸を作った」
冬場は氷点下のシャンツェで雪まみれになりながら風を切り、オフシーズンは筋力トレーニングとローラースケートを用いたフォーム矯正に明け暮れる日々。高校3年生のインターハイにも新潟県代表として出場を果たしました。しかし、国内トップレベルの壁の厚さ、そして高校卒業後の進路を現実的に見つめ直すなかで、選手としての現役続行を断念。「日本一になれないなら別の道で勝負する」という冷静な自己客観視を経て、スキージャンプの第一線から退く決断を下しました。
この雪上で培われた「極限状態での集中力」と「失敗しても次のジャンプに向けて微修正を繰り返す規律」こそが、後に毎日投稿を何年間も欠かさず継続する鉄人・ヒカキンの精神的バックボーンとなったのです。