秀吉とねねの夫婦関係を語る上で避けて通れないのが、秀吉とねねの間に子供がいない理由です。二人は37年間にわたる長い結婚生活を共にしながら、ついに実子に恵まれませんでした。
歴史学および生殖医学的見地から、現在では以下の要因が指摘されています。
- 秀吉本人の妊孕性(にんようせい)の問題:秀吉は生涯で20人以上の側室を持ちながら、子を産んだのは淀殿(鶴松・秀頼)と初期の側室・南殿(石松丸・諸説あり)のみです。この極端な少なさから、秀吉自身に男性不妊の要因(乏精子症など)があった可能性が濃厚とされています。
- 当時の栄養状態と極度のストレス:下積みの長浜城時代から戦乱の最前線に身を置き、城の維持や政務激務に追われていたねねの身体的負担が影響したという見方もあります。
しかし、子供がいなかったことは、皮肉にも「ねねの正妻としての権威を中立化・絶対化させた」という構造的メリットを生み出しました。もしねねに実子がいれば、彼女自身が「我が子を後継者に」という党派性を帯びることになります。実子を持たないねねは、養子たち(秀次、秀勝、結城秀康、宇喜多秀家ら)や子飼い武将全員に対して「公平な母」として君臨することができ、豊臣家中における絶大な調停力を維持できたのです。