この弔辞を巡っては、インターネット上で長年まことしやかに囁かれてきた「ある誤解」が存在します。それは、「タモリは最初から話題作りや伝説化を狙って、計算づくで白紙を持参したのではないか」という作為説です。
しかし、関係者の証言や当時の状況を冷静に検証すれば、この俗説がいかに的外れであるかが分かります。
当時の目撃証言によれば、タモリさんは式典が始まる直前まで極度の緊張と哀しみに包まれており、周囲のスタッフとも言葉を交わせない状態でした。赤塚さんの居候時代、赤塚さんはタモリさんに対して一切の見返りを求めず、自宅の鍵と高級車、無制限のクレジットカードを渡して「好きなように遊べ、お前は面白いからそれでいい」と全幅の信頼を置いていました。
二人の関係は、ビジネスや利害関係とは完全に切り離された「魂の盟友」でした。その恩人の死に際して、自己顕示のための演出を施す動機など微塵も存在しません。白紙を持っていたのは、「原稿を書けなかった自分を恥じつつも、赤塚さんの前に嘘偽りのない剥き出しの言葉を差し出す」という極めて真摯な選択の結果でした。
また、「最初からすべてアドリブだった」という見方も半分正しく、半分は誤りです。タモリさんの頭の中には、赤塚さんと過ごした数十年間の対話や、「これでいいのだ」という思想に対する長年の思索の蓄積がありました。白紙のスピーチは単なる当てずっぽうの思いつきではなく、何十年もかけて醸成された二人の思想の対話が、その瞬間、一気に言葉として結晶化したものだったのです。