宮中三殿の原型は、平安時代の京都御所内に置かれていた「内侍所(ないしどころ・賢所)」「温明殿(うんめいでん)」などに遡ります。古代から中世の内乱、戦国時代の動乱期においても、皇室は八咫鏡をはじめとする御霊代を命がけで守り抜いてきました。
明治維新に伴う東京奠都(1869年)により、宮中祭祀の舞台も京都から旧江戸城(現・皇居)へと移転しました。明治政府は古代の神祇官制度を再編し、1888年(明治21年)の明治宮殿完成に伴い、現在のような賢所・皇霊殿・神殿が並び立つ「宮中三殿」の配置様式を確立させました。
1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結と日本国憲法の制定により、国家神道が解体されると、宮中祭祀の法的位置づけは激変しました。しかし、形式が国家行事から内廷の私的祭祀へと移行しても、儀式の本質や儀礼構造は一切変えることなく、昭和、平成、令和へと一貫して受け継がれています。