キングダム蕞の民はなぜ命を賭けたのか?奇跡の防衛戦とその後を追う

キングダム蕞の民はなぜ命を賭けたのか?奇跡の防衛戦とその後を追う

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司馬遷が編纂した中国正史『史記』において、合従軍の来襲と蕞の戦いはどのように記録されているのでしょうか。史実の記録と原泰久氏が描き出したエンターテインメントの構造を比較することで、作品の卓越した脚色技術が浮かび上がります。

項目漫画『キングダム』の描写史実『史記』の記録データ編集部の見解・評価交戦年次・舞台紀元前241年、函谷関の裏を突かれた蕞城紀元前241年(始皇6年)、合従軍が蕞を包囲歴史的事実の骨格は完全に史実準拠秦王・嬴政の動向自ら咸陽を出陣し蕞へ親征、城壁で剣を振るう親征の直接的明記なし(呂不韋執政期)キングダム蕞の戦い史実との違いにおける最大の劇的改変守備兵の構成飛信隊・残余兵+約3万人の老若男女(さいの民)具体的な兵力内訳の記述は皆無「民衆の奮戦」という行間を壮麗に創作合従軍側総指揮趙の天才軍師・李牧、武神・龐煖趙の将軍・龐煖が5カ国連合軍を統率李牧を実質的黒幕に据え、宿命の対決を演出決着と援軍7日目限界時に山の民(楊端和軍)が電撃急行「蕞を攻むるも拔く能わず、移りて斉を攻む」のみ第1巻から続く政と山の民の絆を回収する圧巻の構成

『史記』秦始皇本紀の記述は驚くほど淡泊です。「四年、龐煖、趙・楚・魏・燕・韓の五国を率いて秦を攻め、蕞を取らんとす。拔く能わず」というわずか十数文字の記録しか存在しません。しかし、中華全土を揺るがした大連合軍が、王都手前の小都市を落とせずに突如撤退したという不可解な軍事的事実の背後には、いかなるドラマがあったのか。

原泰久氏は、この空白の行間に「王の親征」「民衆の決起」「山民族の友情」という3つのピースを完璧に嵌め込みました。史実の枠組みを一切破壊することなく、歴史の深淵に潜む情熱を蘇生させた手腕は、現代歴史漫画の金字塔と評されるにふさわしいものです。

井上 凛
著者

井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。