1984年に東京大学を卒業した赤澤氏は、民間企業ではなく運輸省(現・国土交通省)に入省します。道路、港湾、鉄道、航空といった国家インフラを司る運輸行政の現場に身を置き、大臣官房人事課補佐、航空局、在英国日本国大使館一等書記官などを歴任。ロジスティクスと国際交通政策のプロフェッショナルとして、官僚組織の中で着実に頭角を現していきました。
しかし、エリート官僚としての順風満帆なレールが敷かれていた赤澤氏には、避けて通れない血筋の宿命がありました。それが祖父である赤澤正道氏の存在です。正道氏は衆議院副議長や自治大臣、国家公安委員会委員長を歴任した昭和政界の重鎮であり、鳥取県を拠点に確固たる政治基盤を築いていました。
祖父の引退後、赤澤家からはしばらく国政進出者が途絶えていましたが、2005年、小泉純一郎内閣による「郵政解散」の局面で転機が訪れます。自民党鳥取県連の公募に応募した赤澤氏は、見事に公認を勝ち取り、鳥取2区から衆議院議員総選挙に出馬しました。
地元では当初、「東京育ちのエリート官僚による落下傘候補」という冷ややかな視線も存在しました。祖父の威光があるとはいえ、地盤を引き継いでから歳月が経過していたためです。そこで赤澤氏は、自らの足で過疎地域の集落を一軒一軒歩き倒すドブ板選挙を徹底。官僚的な硬さを削ぎ落とし、現場の生の声に耳を傾ける実務家としての姿勢を示したことで、激戦を制して初当選を果たしました。