時計の針を終戦直後の1945年へと巻き戻してみましょう。戦前から国民に広く普及していた初代のラジオ体操は、軍国主義的色彩が強いとGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から指摘を受け、放送休止に追い込まれました。そこで国民の健康増進と戦後復興の旗印として、文部省(当時)や日本放送協会の主導で急ピッチで再編されたのが、昭和21年(1946年)4月にスタートした「二代目ラジオ体操」です。このとき、一般向けの「第一」、職場向けの「第二」とともに、よりダイナミックな運動を目的として作られたのが「ラジオ体操第3」でした。
しかし、この鳴り物入りで始まったラジオ体操第三がなぜ消えたのか。その最大の理由は、「当時のメディア環境」と「振り付けの圧倒的な難易度」の致命的なミスマッチにありました。
昭和21年当時、視覚情報を伝えるテレビ放送はまだ存在せず、伝達手段はNHKのラジオ放送による「音声解説とピアノ伴奏」のみでした。ところが、ラジオ体操第三の動きは極めて立体的かつ複雑であり、テンポも歴代最速。「腕を交差させながら深屈曲し、リズミカルにジャンプする」といった多角的な動作の連続は、ラジオから流れるアナウンサーの号令とピアノの音色だけでは到底リスナーに伝わりませんでした。
当時の受信者からは「早すぎてついていけない」「動きが全く理解できない」という困惑の声が続出。視覚的な手本がないラジオの限界に加え、戦後の食糧難で国民の体力が低下していた過酷な時代背景も重なり、普及は絶望的な状況に陥りました。その結果、昭和22年(1947年)8月31日をもって放送打ち切りが決定。わずか1年4カ月(約1年半)という極めて短い期間で公式電波から完全に姿を消すこととなったのです。その後、昭和26年(1951年)から昭和27年(1952年)にかけて現在の「三代目ラジオ体操(現行の第一・第二)」が制定された際、第三は再編の対象から完全に除外され、歴史の彼方へと封印されました。これこそが、長年語り継がれてきた「ラジオ体操第三 幻の理由」の真実です。