「疑わしきは罰せず」とは、裁判において被告人が有罪であるという確たる証明がなされない場合、たとえ犯罪事実の存在が強く疑われる状況であっても、有罪判決を下してはならないという刑事裁判の根本鉄則です。法学の世界では伝統的に「疑わしきは被告人の利益に」(ラテン語:In dubio pro reo)と表現されます。
多くの人が混同している概念に「推定無罪の原則」があります。一見同じ意味に思える両者ですが、法的な射程と役割分担には明確な境界線が存在します。
推定無罪とは、「何人も有罪の確定判決を受けるまでは、罪のない無実の人間として扱われなければならない」という手続的地位の保障です。これは被疑者が逮捕された初動捜査の瞬間から、公判、そして判決が確定するまでの全プロセスにおいて、国家機関による不当な人権侵害を防ぐ防壁として機能します。
これに対し、「疑わしきは罰せず」は、集められた証拠を裁判官(または裁判員)が吟味する「事実認定の最終局面」において発動する判断ルールです。検察官が提出した証拠を突き合わせてもなお、「被告人が犯人ではない別の可能性」を合理的に排除しきれない場合、裁判官はその迷いをすべて「被告人に有利な方向」へと振り分けなければなりません。つまり、推定無罪という広範な理念を、法廷での証拠評価という実務の場に落とし込んだ具現化ルールこそが「疑わしきは罰せず」なのです。