御殿の核心部である大広間「一の間」「二の間」は、日本史が大きく舵を切った記念碑的空間です。慶応3年(1867年)10月14日、第15代将軍・徳川慶喜は在洛40藩の重臣たちをこの場に招集し、政権を朝廷に返上する「大政奉還」を諮問・表明しました。一の間にある一段高い「上段の間」に座す慶喜と、平伏する諸藩代表の張り詰めた空気は、現在再現されている精巧な蝋人形(マネキン)展示からも生々しく伝わってきます。
この政治空間の威厳を支えていたのが、当時20代半ばの若さで幕府御用絵師の頂点に立った狩野探幽(かのうたんゆう)率いる狩野派一門の手による「障壁画」です。二の丸御殿全体で現存する障壁画は3,000面を超え、そのうち1,016面が国の重要文化財に指定されています。この絵画群は単なる装飾ではなく、訪れた大名の心理を統御するための明確な視覚的ヒエラルキーに基づいて描かれていました。
将軍に対面する際、遠侍から大広間へと歩みを進めるごとに金箔の輝きと画題の格調が増していき、上段の間に座す将軍の後ろには枝を広げた巨松がそびえ立つ構図となっています。来殿者は絵画の遠近法と光の反射によって、将軍が神懸かり的な存在として視界に飛び込んでくるよう誘導されていたのです。