ネット上やファンの間で長年さまざまな憶測を呼んできたのが、1974年の荒井注さんの脱退と、その後に「幻の正メンバー」と目されたすわ親治さんの立ち位置です。当時の実態を丹念に振り返ると、人間関係の軋轢というよりは、テレビ放送の過酷さと個人の生き方の乖離が浮き彫りになります。
荒井注の脱退理由|「体力の限界」に隠された本当の思い
当時、荒井注さんは「This is a pen!」や「なんだ馬鹿野郎」といったワンフレーズで国民的な人気を博していました。しかし1974年3月、人気絶頂のなかで突如グループ脱退を発表します。表面的な理由は「体力的な限界」と発表されましたが、いかりや長介さんの自著『だめだこりゃ』によると、背景にはより複合的な事情が存在していました。
当時すでに40代半ばに差し掛かっていた荒井さんは、毎週生放送で行われる過酷な公開コントの肉体的負担に加え、極度のプレッシャーに強い疲弊を感じていました。また、もともとジャズピアニスト志向が強かった荒井さんにとって、体を張ったスラップスティック・コントを毎週演じ続けることへの精神的なギャップも限界に達していたと証言されています。一部で囁かれた「メンバー間の陰湿な不仲」は事実無根であり、脱退後も『ドリフ大爆笑』のオープニングや特番コントに笑顔でゲスト出演していた事実が、良好な関係性を証明しています。
すわ親治の存在|なぜ「第6のメンバー」は正式昇格しなかったのか
荒井注さんの脱退時に志村けんさんが正メンバーへと昇格したのと前後して、ドリフの付き人として加入したのがすわ親治さんでした。すわさんは鋭い眼光と怪鳥のような叫び声、突き抜けたオーバーアクションを持ち味とし、1970年代後半から1980年代前半の『全員集合』や『ドリフ大爆笑』に頻繁に出演しました。
ファンからは実質的な「6人目のドリフ」と認知されていましたが、正式なメンバーとしてクレジットされることはありませんでした。この理由について関係者の記録によると、いかりや長介さんが「5人組という黄金のバランス」を極めて重視していたこと、そしてすわさん自身の強烈な個性は集団のアンサンブルよりもピン芸や舞台演劇でこそ真価を発揮するという演出意図があったとされています。すわさんは1985年にドリフの元を離れ、その後は舞台役者として確固たる地位を築いており、後年の対談でもドリフで学んだコントの間と舞台度胸への感謝を公言しています。