なぜ日本は自ら議会制民主主義を放棄し、破局的な軍国主義へと傾斜していったのでしょうか。その根源は、明治国家が構築した法制度と社会システム自体の設計にありました。
明治22年に発布された大日本帝国憲法は、東アジア初の近代立憲主義憲法として先進的な側面を持ちながらも、「統帥権の独立」という巨大な制度的欠陥を内包していました。憲法第11条が定めた「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」という条項は、軍の作戦指揮権限が内閣や議会の関与を受けないことを意味しました。大正期には政党内閣の確立により軍部を文民統制下に置く慣例が形成されつつありましたが、昭和恐慌以降、軍部はこの条項を盾に取り、政府の意向を無視した軍事行動を正当化していったのです。
また、戦前日本の教育制度も国民心理の形成に決定的な役割を果たしました。1890年に発布された「教育勅語」を核とする修身教育は、国家への忠誠と天皇への絶対的尊崇を幼少期から徹底して内面化させました。高等師範学校や帝国大学を頂点とする複線型の学校体系は、急速な近代化に必要な有能な官僚・技術者を育成した一方で、国家の基本方針に対する健全な批判精神を育む土壌を痩せ細らせていきました。