ネット上の言説や文学の要約サイトでは、白樺派を「金持ちのお坊ちゃんたちが気楽に理想を語ったサロン文化」と揶揄する声が散見されます。経済的苦境の中で執筆を続けたプロレタリア作家や自然主義作家と比較され、彼らの苦悩が「甘え」と受け取られるケースです。
しかし、これは歴史的事実を一面からしか見ていない重大な誤解です。彼らの戦いは、外的な貧困ではなく「強固な家父長制と内面的な孤立」との凄まじい精神的闘争でした。
志賀直哉は、実父との不和によって十数年間もの長期にわたり執筆停止や放浪を強いられました。当時の華族・上流階級の家庭において、親の意向に背いて文学を志すことは、社会的抹殺に近い勘当を意味していました。彼らが叫んだ「個性の解放」は、単なる自己主張ではなく、血の滲むような親子の精神的格闘から搾り出された叫びだったのです。
さらに特筆すべきは、彼らが単なる観念論者にとどまらず、私財を投げ打って社会実験に身を投じた点です。
- 武者小路実篤の「新しき村」:1918年(大正7年)、宮崎県木城町に階級や貧富の差がない理想社会「新しき村」を建設。自ら鍬を握って開墾に従事し、全私財を投入して理想郷の具現化に挑みました(この村は現在も埼玉県毛呂山町に受け継がれています)。
- 有島武郎の農場解放:1922年(大正11年)、父から相続した北海道狩太村(現・ニセコ町)の広大な有島農場(約450ヘクタール、当時の時価で莫大な資産)を、全小作人へ無償で永久譲渡し、自立的な共産農場へと解放しました。
口先だけの理想論ではなく、自らの階級的特権を捨ててまで理念を実践しようとした倫理的潔癖さこそ、白樺派の隠された真実です。