ルパン作者の知られざる本名と死因|名作誕生に潜む著作権の真相

ルパン作者の知られざる本名と死因|名作誕生に潜む著作権の真相

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一度耳にしたら忘れられない「モンキー・パンチ」という強烈な筆名。しかし、この名前は本人の希望ではなく、外部の思惑によって半ば強制的に命名されたものでした。

1967年、双葉社が日本初の青年漫画誌『週刊漫画アクション』を創刊する際、初代編集長であった清水文人氏が「国籍不明で、怪しげで、一度見たら脳裏に焼き付く名前にしよう」と提案したのが発端です。当時の加藤氏は「サルがパンチするなんて滑稽すぎる」「売れずに1〜2話で打ち切られたら、すぐに別の名前に変えればいい」と苦笑いしながら承諾したと、生前の特番インタビューで語っています。ところが、同誌創刊号からスタートした『漫画アクション』連載の『ルパン三世』は、瞬く間に若者たちの心を掴むメガヒットを記録。結果として筆名を変更する機会を永遠に失い、生涯この名と共に歩むことになりました。

さらにファンの間で驚きをもって語られるのが、初期の制作体制です。実は『ルパン三世』の立ち上げ当初、モンキー・パンチ名義は加藤一彦氏単独ではなく、実弟である加藤輝彦氏との「兄弟ユニット」でした。

プロットの構築やアイデアのブレインストーミング、複雑なトリックの考案、緻密なメカニックや背景の描き込みを弟の輝彦氏が支え、キャラクターの洗練されたペン入れを一彦氏が担当するという、スタジオ体制の先駆けのような二人三脚でした。連載が軌道に乗るにつれて役割分担は変化していきましたが、ルパンの持つ多面的な魅力やギミックの緻密さは、血を分けた兄弟の濃密なディスカッションが生み出した奇跡的な結晶だったのです。

吉田 誠
著者

吉田 誠

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