現役引退後、日本相撲協会の中で自らの理想を追求すべく立ち上げた鳴戸部屋。そこで彼が展開した指導法は、従来の相撲部屋の常識を根底から覆すものだった。暴力や理不尽な上下関係を徹底的に排除し、力士たちに求めたのは「知性と自律」である。
部屋には門限と読書時間を設け、力士たちに社会人としての教養と礼節を厳しく叩き込んだ。稽古場では感情的な叱責を排し、なぜその体勢で負けたのかを論理的に説明させる。この特異な環境下で見出され、愚直なまでに王道の相撲を叩き込まれたのが、若き日の萩原、すなわち後の横綱・稀勢の里寛(現・二所ノ関親方)だった。
「妥協するな、孤独に耐えろ」。師匠が遺した教えを胸に、稀勢の里は左四つの強固な型を築き、怪我に泣かされながらも不屈の闘志で綱を締めた。鳴戸部屋から生まれた横綱や大関たちの足跡は、隆の里の育成哲学が単なる精神論ではなく、現代にも通用する普遍的な人間教育であったことを証明している。