教義の本質を理解する上で避けて通れないのが、「密教と顕教(けんきょう)の違い」です。顕教とは、釈迦が言葉や文字を用いて大衆に分かりやすく説き明かした教え全般を指します。一方、密教とは、宇宙の根本仏である大日如来が自らの内なる覚りを直接示したものであり、秘密の印契(手の結び)や真言(呪文)、瞑想を介して身体全体で覚りを共有する教えです。
天台宗と真言宗の違いを一言で表現するならば、天台宗は「顕密一致(けんみついっち)」、真言宗は「純密(じゅんみつ)」と言い換えることができます。
最澄が開いた天台宗は、すべての教えの頂点に『法華経』を据え、そこへ「円(天台教学)・密(密教)・禅(瞑想)・戒(戒律)」の4要素を統合した総合的な体系(四宗相承)を取りました。したがって天台宗における密教(台密)は、仏教という大樹を構成する重要な一枝という位置づけです。これに対し、空海が開いた真言宗の密教(東密)は、大日如来の秘密の教えこそが至高であり、顕教は密教へ至るための初歩的な段階に過ぎないと捉える徹底した専門分化を行いました。
この思想差は、仏教における究極の目標である「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」の捉え方にも直結しています。
真言宗が説く即身成仏とは、「三密加持(身に印を結び、口に真言を唱え、心に大日如来を観想する)」の実践によって、人間が生まれ持った肉体のままで現世において即座に仏と一体になるという電撃的な教えです。これに対し、天台宗では『法華経』の一乗思想(生きとし生けるものはすべて仏性を持ち、仏になれる)を根底に置きながら、「草木国土悉皆成仏(人間だけでなく植物も山河も成仏する)」という広大な世界観を、長い時間をかけた修行の中で体現していく道を選びました。
修行体系にも両派の性格が色濃く反映されています。比叡山延暦寺で行われる「千日回峰行」や「十二年籠山行」が、極限の肉体負荷を通じて自己の執着を削ぎ落とし、全宇宙の仏性を礼拝する修行であるのに対し、高野山における「四度加行(しどけぎょう)」は、印と真言の作法を極限まで精密に身体へ刷り込み、宇宙の法そのものと自己を同調させる神秘儀礼の徹底的な反復です。