「鹿児島出身の同僚に振ってみたら、本当に即答でフルコーラス歌ってくれて爆笑した」――SNS上では、他県民が鹿児島県民の身体に染み付いた反射神経に驚愕する投稿が後を絶ちません。『秘密のケンミンSHOW』などの全国ネット番組でも「鹿児島県民の生態」として度々フィーチャーされるこの楽曲は、なぜこれほど強烈な浸透度を誇っているのでしょうか。
歴史を遡ると、この歌の誕生は今から100年以上前となる1921年(大正10年)に位置づけられます。舞台は鹿児島県姶良郡(現在の霧島市国分)に所在する宮内小学校。当時、同校で教鞭を執っていた女性教師・石黒ヒデ氏が、学校の学芸会で子どもたちに披露させる劇中歌として作詞・作曲したものがすべての始まりです。
当時、都市部から徐々に広がりつつあった「茶碗蒸し」という料理は、南九州の農村部においては滅多にお目にかかれない贅沢なハイカラ料理でした。まだ見ぬ未知のごちそうを前にした庶民の当惑と素朴なユーモアを、石黒教諭は軽快な2拍子のメロディに乗せて劇仕立てで表現したのです。子どもの発表会用として作られた一過性の劇中歌が、口伝や学校教育の現場を介して自然発生的に全県へと波及していった事実こそ、この歌が持つ圧倒的なキャッチーさを証明しています。