世間では華やかな特権階級と見られがちな吉田茂の孫たちですが、その生い立ちは決して甘やかされたものではありませんでした。大磯の旧吉田邸(通称・大磯御殿)で幼少期を過ごした孫たちの証言からは、厳格かつ合理的な「吉田流の家庭教育」が浮かび上がってきます。
麻生太郎氏は自著やインタビューの中で、祖父・吉田茂について次のように振り返っています。
「大磯の家に行くと、祖父はいつも書斎で煙草(ハバナ葉巻)を燻らせながら膨大な洋書や電報を読んでいた。子ども心に近寄りがたい迫力があったが、食事の作法や言葉遣い、そして『男たるもの、筋を通さぬ言い訳をするな』ということについては極めて厳しかった」(関係著書・過去の談話より要約)
吉田茂は、孫たちに対しても「英語を学ぶ前に、まず美しい日本語を徹底的に叩き込め」「歴史を学ばぬ者に未来を語る資格はない」と繰り返し説いたといいます。また、母親である麻生和子氏は、白洲正子氏ら超一流の文化人たちと親交を持ち、吉田首相の「私設ファーストレディ」としてサンフランシスコ平和条約調印式にも同行した伝説の女性です。その母・和子の厳しい躾と高い知性が、麻生太郎氏や寬仁親王妃信子殿下の堂々たる立ち振る舞いの基礎となりました。
ネット上の掲示板やSNSでは「生まれながらの特権階級だから偉くなった」という短絡的な声も散見されます。しかし、麻生太郎氏が若き日に直面した現実は、斜陽化する石炭産業からセメント事業への転換期であり、過酷な労使交渉の最前線でした。麻生泰氏もまた、グループの多角化や病院経営・教育事業の再建に奔走し、現場の泥水を啜る経験を重ねています。吉田茂の血筋が誇るべきは、単なる血統の良さではなく、過酷な逆境に耐えうる実力主義の家風にあったことが分かります。