平将門をめぐる言説には、長年の軍記物語やドラマによる脚色から生じた多くの誤解が存在します。歴史ジャーナリズムの視点から、特に知られていない2大盲点を浮き彫りにします。
誤解1:最初から「天皇の位」を狙って挙兵したという誤認
通説では「大それた野心を抱き、天皇家を滅ぼそうとした誇大妄想狂」のように語られることがありますが、一次史料『将門記』が描く実像は正反対です。将門は反乱を起こす直前まで、自らの正当性を主張する弁明の手紙を朝廷(関白・藤原忠平)へ何度も送っています。常陸国府を制圧してしまったのも、仲間を助けようとした末の偶発的な軍事衝突でした。逃げ場を失い、死刑宣告同然の追討令を出された結果としての「自活のための新皇宣言」であり、追い詰められた末の防衛的暴走だったというのが最新の歴史学の共通理解です。
誤解2:「祟り」を恐れただけの神格化ではないという事実
将門が神田明神や築土神社に手厚く祀られたのは、単に「祟りを鎮める(御霊信仰)」ためだけではありません。坂東の人々にとって将門は、中央貴族の不条理な重税と収奪から命がけで郷土を守ってくれた「郷土の英雄」でした。中央集権体制に屈しなかった独立不羈のスピリットが、徳川家康による江戸開府を経て「江戸っ子の反骨精神」と結びつき、都市の誇りとして現代まで愛され続けているのです。