藤堂高吉の数奇な生涯|信長・高虎の養子から名張藤堂家祖となった真相

藤堂高吉の数奇な生涯|信長・高虎の養子から名張藤堂家祖となった真相

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寛永9年(1632年)、高吉は伊予今治から伊賀国名張(現在の三重県名張市)へと移封となり、ここに名張藤堂家(宮内家)が成立します。領地は2万石。形式上は津藩主・藤堂高次の家臣(重臣)という位置付けでしたが、実態は徳川将軍家からも一目置かれる準大名格の独立性を保っていました。

この曖昧なパワーバランスが、後年における本家と名張藤堂家の深刻な対立を招くことになります。名張藤堂家側は「自らは幕府直参の大名である」というプライドを堅持し、津藩本家からの統制に強く反発。高吉の死後もその火種はくすぶり続け、江戸時代中期には幕府への直訴や独立を巡る内部抗争、いわゆる「名張騒動」へと発展しました。

名張騒動を経て、名張藤堂家の大名昇格の悲願は潰え、津藩の家老家として組み込まれる結末を迎えました。しかし、名門・丹羽家の誇りと高吉の威光は、幕末に至るまで名張の地に色濃く残り続けたのです。

佐々木 一輝
著者

佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。