1937年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋付近で響いた数発の銃声。これが、8年余に及ぶ果てしない戦争の引き金となった。当時、現地で演習中だった日本軍部隊と中国軍との間で発生したこの小競り合いは、現場レベルの停戦協定によって一度は沈静化の兆しを見せていた。
しかし、事態は急速に暗転する。現地の緊張感とは裏腹に、東京の陸軍中央と内閣は強硬な姿勢へと傾斜していった。一度振り上げた拳を収める論理を持たない組織は、局所的な衝突を「北支派兵」という国家レベルの軍事行動へと直結させてしまう。偶発的な火種は、瞬く間に華北全域、さらには上海へと飛び火し、もはや引き返せない濁流となって両国を呑み込んでいった。