インターネット上の掲示板やSNSでは、時折「櫻井翔は留年したのではないか」という検索サジェストが浮上します。しかし、これは完全な事実誤認です。櫻井翔は2000年4月に入学し、2004年3月に4年ストレート卒業を果たしています。この噂が広まった背景には、2000年代初頭の嵐の凄まじい活動ペースがあります。新曲リリース、全国ツアー、冠番組の収録、ドラマ撮影が隙間なく詰め込まれており、「一般学生でも単位取得が厳しい慶應経済で、あの露出量を誇るアイドルがストレートで出られるはずがない」という世間の先入観が留年説を生み出したにすぎません。
彼が単位を1つも落とすことなくストレートで卒業できた背景には、次の3つの客観的要因が存在します。
第1に、自己管理能力と分刻みのスケジューリングです。当時のテレビ番組の手記や特番インタビューにおいて、櫻井翔は「テスト期間中は睡眠時間を2〜3時間に削り、楽屋や移動中の新幹線・ロケバスでも常に経済学の専門書を開いていた」と振り返っています。周囲のタレントが空き時間に休息を取る中、彼はレポート課題と格闘し続けていました。
第2に、大学の友人たちとの強固な信頼関係と相互扶助です。慶應義塾の日吉キャンパス・三田キャンパスでは、過酷な出席チェックやノートの正確さが合否を左右します。仕事でどうしても講義に出席できない時間帯は、信頼できる友人に講義ノートのコピーを頼み、その代わり櫻井自身も自分が参加できた講義のノートや試験予想を徹底的に共有するなど、対等なギブ・アンド・テイクの関係を構築していました。「芸能人だから助けてもらう」のではなく、誠実な一人の学生として信頼を勝ち得ていたことが実を結びました。
第3に、「ここで留年したら嵐が終わる」という危機感です。当時の嵐はデビュー直後の爆発的ブームから一歩進み、グループとしての独自性と足場を模索していた過渡期でした。自分が学業でつまずけば、グループのスケジュールに迷惑がかかるだけでなく、「やはり両立など無理だった」と世間から冷笑されることを彼は痛感していました。この強い責任感が、限界を超えた両立の原動力となったのです。