埼玉県の加須市、羽生市、鴻巣市(旧川里町地区)を中心とする県北東部地域。ここは古くから利根川がもたらす肥沃な大地に恵まれ、県内有数の米どころであり、小麦の生産も極めて盛んな穀倉地帯として知られています。この地で生まれた「いがまんじゅう」の最大の特徴は、何と言ってもふかしたての赤飯が、こしあん入りの蒸しまんじゅうの表面をびっしりと覆っているという独特の構造にあります。
農林水産省の「うちの郷土料理」選定資料や地元郷土史料の記述を紐解くと、この奇抜な組み合わせが誕生した背景には、当時の農家における極めて現実的かつ合理的な生活の知恵が存在していました。主な起源とされる説は次の2つです。
第1の説は「祝い事の簡略化・時短説」です。かつての農村部では、田植えが終わった初夏や秋の収穫期、あるいは夏祭りなどの「ハレの日」に、神仏へのお供え物やお祝いのご馳走として「赤飯」と「あんこ入りまんじゅう」の両方を作る習わしがありました。しかし、農繁期の主婦や作り手たちにとって、火を起こして赤飯を蒸し、さらに別工程でまんじゅうをこねて蒸し上げる作業は途方もない重労働でした。そこで、「どうせ同じ釜で蒸すなら、まんじゅうの周りに赤飯をまぶして一度に蒸してしまえ」という豪快な発想が生まれ、これが定着したと伝えられています。
第2の説は「貴重なもち米の節約・ボリュームアップ説」です。江戸時代から明治・大正期にかけて、白米やもち米は非常に高価な貴重品でした。一方で、自家栽培していた小麦粉は豊富に手に入ります。そこで、高価な赤飯だけで大きな握り飯を作る代わりに、小麦粉で作ったまんじゅうを芯にして外側だけ薄く赤飯をまとわせることで、「見た目は豪華な赤飯、食べ応えは満点、しかももち米を大幅に節約できる」という庶民の生活防衛の知恵が結実したという見方です。
名前の由来については、赤飯の小豆の粒やもち米の粒々が表面からツンツンと突き出ている様子が、秋に実をつける「栗のイガ(毬)」に酷似していることから名付けられたという説が有力です。また、豊かな実りを願って「稲の穂(イネのイガ)」に見立てたとする伝承もあり、いずれも農民の切実な祈りとユーモアが込められた命名と言えます。